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更新日記2007.02.15 新訳『闇の奥』

更新日記2007.02.15 新訳『闇の奥』

ようやく藤永茂訳の『闇の奥』を読んだ。
正直なところ、コンラッドは何度も読み返して有り難がるほどの大作家ではない。と感じたのが一点。  もう一点は、申しわけないけれど、とくに『闇の奥』は「誤訳」でちょうどいいという感想。

既訳がブリュッセルをパリと間違えていたこととか、教えられることは多かった。
だが、正確な翻訳が出てくることは望ましい――と書いても、どことなく社交辞令になるみたいだ。そういう想いを消せない。
コンラッドは曖昧朦朧としていたほうがいい。
結局のところ、現代の読み手はそこに自分の都合のいい肖像しか見つけようとしないだろう。ポストコロニアルの視点が一般化するほど、その傾向は強くなる のではないか。苦悶する反帝国主義者という像を見たい者にはその証拠となる一節が(少しくらいは)あるだろうし。
また投機的な植民地主義者として告発するという姿勢は、西欧の眼の下にある「世界文学市場」にあっては常に周辺〈ペリフェリー〉に追いやられるに違いない。藤永がくりかえし書いている「ヨーロッパ・マインド」という言葉は「ヨーロッパの病」としたほうが適切だと思うが、それは同時に「日本人の病」をも意味するだろう。おおかたの日本人には受け容れがたい思考だ。
新解釈が出てこないのは、やはり作品そのもののキャパシテイによっている。『闇の奥』は話題に取り上げやすくはあっても、それ自体としては豊かなテキストではない。hollow men という像にしても、フォークナーの『アブサロム、アブサロム』に出会ってしまった後では、今さらコンラッドの気まぐれな書きっぱなしをほじくっても得るところは少ない。

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